堀川の誕生は、江戸時代初めの慶長15年(1610年)。
徳川家康が武将福島左衛門大夫正則(1561−1624)ら大名20名に、開削を命じ造らせた。
およそ1万人が開削工事に携わったという。
一方、名古屋城も同じ年慶長15年2月に築城着手。
堀川は、名古屋城の建築資材の運搬水路として活躍した。
当時の堀川は、名古屋城脇の朝日橋を上流端とし、熱田の海まで延長6.3キロ。
明治10年(1877年)には、朝日橋より上流が開削(通称黒川)され、今では更に庄内用水と合わせ総延長16.2キロの名古屋の街を流れる川となっている。
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